5月11日、愛犬ウィルを空に還した際の記録です。
お骨上げなど、子細な事を書きます。
その手の話で気分が悪くなる方は、読む際にはお気を付けください。
夕刻、救急病院で真新しい白いタオルにくるんでもらったウィルを、家に連れて帰りました。
いつも寝ていたお気に入りのダンボールベッドに寝かせてやると、フン、と寝息を立てそうな位穏やかな姿でした。
夜になって、ボーノもやっと何かおかしいなと思ったようです。
いつもならちょっかいを出すと怒るウィル姉さんが、何も反応してくれない。
寝床を奪ってやろうと思っても、一向にどいてくれない。
ボーノに言い聞かせながら、自分にも言い聞かせていた気がします。
「ウィルはもう起きないんだよ」と。
まんじりともしない一夜を過ごし、私たちは次のなすべき事に取り掛かりました。
そう、今度は体を空に還してあげなくちゃいけない。
しかも翌12日は友引。
先延ばしにすることは、色々な意味で区切りがつかない。
「今日、自分たちの手でウィルの体を空に還す」ことを1つの区切りにする。
2人で話し合って、そう決めました。
ネットで調べ数カ所連絡してみたものの、自宅近隣では当日は無理なところが多く、正直困惑しました。
旦那が半休で帰って来てから行くことになったため、あまり遠方というわけにもいかなかったのです。
そんな中、折り返しで「本日大丈夫です」とご連絡をくださったのが、
ペットエンジェルゲイト東京池袋さんでした。
お手配くださったことに感銘を受け、夕刻伺う旨、お約束をしました。
午後、ウィルを抱いて車に乗りました。
ドライブが好きだったウィル。
車で都内をフラフラと気の向くままに走り、最後のドライブをしました。
16時20分、葬儀社さんに到着。2Fのセレモニー室に通されました。
そこには、それはそれは立派な祭壇と、メールで送っておいた画像から作られたウィルの遺影が。
棺代わりの籐カゴにウィルを寝かせて、サテンの掛け布団を掛けてやりました。
葬儀社さんが用意してくれた少しのお花を飾ってやると、服すら着るのを嫌がった男前のウィルが、ほんの少しだけ女の子らしく見えました。
あまりおもちゃなどにも執着しなかった子なので、私たちが供えたのはカリカリ一握りとガムだけ。
20分程でしょうか。
充分にお別れをして、ウィルを火葬炉に送り出しました。
それも、人と何ら変わらない形の送りです。
私たちも、歳相応に祖父母や親戚の葬儀・火葬を経験しています。
炉前での別れや係の方のご対応は、本当に人間と変わらない程の敬意を払ってくださっていました。
炉の上に小さな遺影まで置いてくださってたんですから。
1時間後、収骨室に入って驚きました。
短いながらもプリプリと振っていた尻尾。
晩年になってもガムをばりばり噛んでいた歯。
頭突きされるとこちらのほうが痛かった頭蓋骨。
ドアを器用に引っ掛けて開けていた爪先の骨まで、綺麗に残っていました。
スタッフの方の丁寧な説明を聞いた後、
「すごいねウィル、こんなに骨が丈夫だったんだね」
「綺麗に残ってよかったね」
そう話しながら、旦那と2人で骨壷に収めました。
骨が立派過ぎて、もしかしたら骨壷に入りきらないんじゃないかと焦りましたが(汗)。
爪先の骨1つと歯1つ、小さな骨片1つを分骨用カプセルに収め、こちらは仏壇に供えることにしました。
帰り際、小さなブーケをいただきました。
小さなお気遣いが心に沁みました。
帰宅後、普段私が張り付きっぱなしなパソコンの傍に遺骨を供えました。
このブログを書きながらも、ちらりと目をやると、そこにはウィルが居ます。
今、悲しいながらも、私の心はどこか平穏です。
不思議と楽しかった出来事ばかり思い出します。
そして、もう1頭の愛犬ボーノとこれから沢山の思い出を作らないとな、と思うのです。
ついつい先住犬のウィル優先にして、不憫な思いをさせていたような後ろめたさがあって。
アジソン病を持つボーノが、果たして14歳まで生きられるかもわかりません。
だからこそ、この子と一緒の日常がより思い出深いものになるよう、頑張ろうと思うのです。
またね、ウィル。
虹の橋のたもとで逢える、その日まで。
<追記>
あえて、赤裸々なことまで書きます。
夢も感傷もへったくれもないです。
それは、費用のこと。
ペットを亡くして悲しみの中ここに辿り着いた方がおられたとしたら、非常に生々しい話です。
が、気になる点でもあると思います。
費用は約5万円でした。(39,000円+籐カゴ代5.000円、分骨用カプセル代2,500円+税)
HPで明記されていた金額と全く同じで、供養に関するアイテムのセールスもされませんでした。
これは決して安い金額ではありません。
探せば安いところはいくらでもあるでしょう。(移動式火葬炉で行う場合は、かなり安いところが多いように感じました。)
立ち会い無しの合同火葬ならもっと安くなります。
ペットごときにここまでしなくてもという意見の方もおられるでしょう。
ペットの葬儀は人それぞれです。(人の葬儀もそうですが)
残された者たちが、「別れ」の儀式として納得行くだけのことをするのが大事だと思うのです。
私たちは自分たちの手でお骨上げすることで、ウィルの死についての納得と区切りを得たわけです。
その点で、費用については何ら疑問はありません。
それに見合うだけ、むしろそれ以上のご対応も頂きましたし。
四十九日が過ぎたら、実家で飼っていたかつての愛犬ピーちゃんやチョロが眠るお寺さんに連れて行こうと思っています。